新潟地震

新潟物語

新潟地震 キャバレー香港 ジュリアナ号座礁 佐渡汽船 西海岸
津川町の昭和橋

このところ、地震や水害など各地で災害が多く発生しています。
被災された地域の方は本当に大変な事でしょう。がんばってください。
ここでは昭和39年6月16日に起きた新潟地震の話をします。
昭和39年6月16日午後1時2分・・・ 私は保育園にいました。
いきなり、それまでにあじわったことの無い大きな揺れが、
ぐらぐらときました。何がなんだかわからないが、
先生方は、こんな小さな子供たちが大勢いて
本当にあせっていた事でしょう。
まずは外へ避難、水が出てきたので浄化槽の上へ避難。
しかし、そんなところは崩れたら大変と隣の小学校の
グラウンドへ移動。当時のグラウンドは結構高低差があり
水が出ても島が何箇所か出来ていた。そこでみんな親の迎えを待つ。
うちはそこから見えるので、すぐに迎えに来てくれると思っていましたが、
なかなか来ない。お母さんはどうしたんだろうと思っていました。
残る子供もあとわずか、というときに、やっと親父が来てくれました。
やっと帰れる。これで安心したのか
この後の少しの間の記憶がありません。
お袋はこの時実家に行っていたのでありました。
記憶の無い時間の話ですが、
これは、2004年10月23日の新潟県中越地震の際
新潟地震の話になり、初めて親父から聞いたものです。
親父が保育園に迎えに来ましたが、実は迎えに来たわけではなく
やっと会社のほうが落ち着き、写真好きにとってはこんなチャンスは
二度とないと、うちにカメラを取りに来たわけです。
そしたら誰もいない。でも写真を撮りに出かけるかと外に出ると
学校のグラウンドに私がいた訳です。しょうがないので
私をうちに連れて行き一人残して、写真を撮りに出かけたそうです。
 その後、お袋が約4キロ離れた実家から歩いて帰ってきて、
そのころ付近の人たちはさっきいたグラウンドへ避難する事となりました。
そして親父が戻ってくるとまた私はうちにいない。するとグラウンドに人が大勢いると気付いて、やってきてめでたく家族がご対面となりました。
そこで近所のお年寄りから、あんたはこんなときに子供を置いて何をやっているんだと怒られたそうです。
これは、その時にうちの親父が避難せずに非難されながら撮ってきた写真です。
鉄橋の上から撮った写真。国体の為、新しくした昭和大橋、国体終了後わずか数日でこのような姿に
左に見えるのは新潟市体育館、昭和石油からの黒煙がどんどん広がっていき、水かさも増えています
上の2枚は新潟市の下(しも)のほう津波による被害です
白山駅のホームとその近辺
白山浦、電車通り
川岸町、県営アパート

避難している間にも、昭和石油の火の手がドーンとあがり、子供ながらに恐怖でした。
この後暫らく消防車のサイレンが恐怖を思い起こし非常に怖いものでした。
やはり災害で一番必要なのは水、給水車にバケツを持っていったのを思い出します。
ただこの頃は、もともとあまり何も無かった時代ですから、避難生活も今に比べればストレスは少なかったでしょう。
最近被害にあった方はもっと大変だったでしょう。
災害は避けようがありません、いつ来るかもわかりません。
心構えだけは、しっかりと持っていましょう。


このページの先頭に戻る

トップページに戻る